1886年、オブリエットは経営難を理由にケーブルカーをフランスの有限 会社、ヴェジュヴ鋼索鉄道(Société Anonyme du Chemin de fer funiculaire du Vesuve)に譲渡したが、 2年後にはトーマス・クック・アンド・サン社に再譲渡された[3]。 新会社への移行に伴い車両更新が進められたものの、ナポリからの交通 の便は悪く[4]、その上地元の山岳ガイドらによって駅の放火やケーブル 切断、車両の渓谷への突き落としなどの抗議運動が行われるなど、 経営は芳しくなかった。 そこで1892年に父トーマスの跡を継いで社長になったジョン ・メイソン・クックは、ガイドとの間で補填[訳語疑問点]合意を締結する事となった。