ヘルクレス座の間の隙間に配置したもう1つの新しい星座である。 ラカイユは、南天の星を観測した後に物理学と芸術の道具で新しい星座を形成した。 彼の例に倣って、我々は北天で3万の星の観測に役立った貴重な道具、 すなわち天文学の最大の記念碑を奉献できると考えた。」としている。実際、ラランドはコレージュ・ド・フランスに天文学教授として在職中 に、甥のミシェル・ルフランセ・ド・ラランドと共に、壁面四分儀を 用いて5万個以上の恒星の位置を特定している。 ラランドは、翌1796年に出版したConnaissance des temps ou des mouvements célestes, à l'usage des astronomes et des navigateurs, pour l'annéeの中で、5等級から7等級までの恒星10個を この星座に属するものとしている