[補説] 「対局者よりも8手先まで見通せる」とする解釈が広く行われて いるが、目(もく)は手数を数える語ではなく、地(じ)(石で囲んで自分 のものとした部分)を数える語であるところから、「観戦者は8目分、 得をする手を思いつく」の意とする説もある。 「だって岡目八目って云うじゃありませんか。傍にいるあなたには、 あたしより余計公平に分るはずだわ」 「じゃ継子さんは岡目八目で生涯の運命をきめてしまう気なの」(夏目漱石『明暗』) 一見正しい論評ができるのは、論評者が当事者ではないからである (その人が当事者となったところでうまくいくものではない)。 大隈でも板垣でも、民間に居た頃には、人の遣つて居るのを冷評して、 自分が出たらうまくやつてのけるなどゝと思つて居たであらうが、 さあ引き渡されて見ると、存外さうは問屋が卸さないよ。 所謂岡目八目で、他人の打つ手は批評が出来るが、さて自分で打つて 見ると、なか/\傍で見て居た様には行かないものさ。 (勝海舟 『大勢順応』) 翻訳 英語:Lookers-on see most of the game 中国語:当局者迷,旁观者清/當局者迷,旁觀者清